新卒国家公務員→メンタルブレイク→ニートで気づいたこと

コラム

 今までの社会人歴を振り返って思ったことを記事にしたい。

 ※この記事の内容はフィクションかもしれませんので悪しからず。

退職理由は恐らく鬱病(診断は貰っていない)

 時間がたって退職時の俺はかなり病んでいたことがようやく分かってきた。そもそも土日に壁のシミを見ているだけで一日が過ぎているなんて健常者ではありえない。異常であることが通常では気づくが、当時の思考はかなり麻痺していて気づかなかった。診断は受けていないが、鬱病だったような気がしている。

 今思えば、メンタルが崩壊していったきっかけは、2年間の僻地にある一人支店への異動だったように思う。上司も先輩も同僚も俺がやっている仕事内容を知っている者はおらず、誰にも頼ることができない上に結果と責任が求められるプレッシャーに潰された。娯楽を作れずストレスマネジメントができなかったことも一つの要因だと思う。これから記載していくが、他にも様々な要因から「頑張りすぎた」。言い換えれば、無理をして自分の能力以上のことをやりすぎたし、「できてしまった」。無理をしても結果に繋がらなければそこで挫折し、結果以外の方向性(価値観)を模索するといった離脱ルートに乗れたはず。一方で俺は、無理して出した結果が多くの人から褒められる→さらに調子にのってもっと無理をする→そしたらまた結果が出る、といった連鎖を起こし、最終的に自滅したように思う。完全にやる気に足を救われた。

 一度仕事が辛くなって有休をとり、精神科を受診しに行ったことがある。しかし、病院の自動ドアの入り口が開いた瞬間、「今まで職場で積み上げてきたものが壊れる」と思って泣きながら引き返してしまった。職員が鬱となり休職した場合には、どんなに積み上げてきたものがある人でも完全に出世コースから外れ、人事評価に×が付く。自分も同じようになることが悔しかったためである。

 そうこうしていく中で次の人事異動を迎え、辛さのピークはやり過ごすが、完全に燃え尽き、職場の未来に絶望しながら下記の記事を書いている。当時の生の声を振り返ると面白く、残しておいて良かった。

俺が国家公務員を辞めた理由
俺が国家公務員を辞めた理由を解説します。

 今は昔に比べればだいぶ楽になってきて、前向きな思考を取り戻しているが、完全な健常時より夜に考え事をすることがまだ多い気もする。また、前のように何事にもフルリソースで頑張ることはかなりしんどくなった。

他人の評価基準で生きると結末は虚しい

 国税組織は数字(結果)が求められる唯一の官庁である。国税庁の国民から与えられた存在意義は「適正公平な賦課徴収」であることから、ある納税者がやっとの思いで期限内一括納付をしている傍ら、税金滞納者の長期累積滞納を許すことはできない。このため必然的にどれだけの滞納額を整理するかといった「数字」が求められ、人事評価の第一基準となるのは当然の話。裏を返せば数字を出さない人間は仕事ができない人間としてレッテルが張られ、評価も下がり、閉鎖的な職場ならではの「飲み会の陰口」の対象となる。何かにつけて数字の話が出てくるが、ここは民間の営業職と遜色のない現場風土であると言えるかもしれない。

 思えば俺はそんな組織の中で、存在を肯定されたくて6年半ずっと数字(結果)に囚われて生きてきた。運よくずっと周りの沢山のフォローに恵まれ、仕事ができている現状に「俺って少し仕事ができるのではないか」と、思い上がっていた頃があった。そんな時、ある同期から「俺の同期は仕事ができる奴がまるでいない。●●(当時出来る人が行くと言われていた部署)に行くのは俺くらいしかいない。どうなってるんだ俺の同期は(笑)」と俺の目の前で言われ、普段から人を下に見て子馬鹿にするそいつを必ず見返してやろうと思い、変にスイッチが入ってしまった。結局直後の人事異動で●●には俺が行くことになるのだが、この一件があって以降、より一層数字に憑りつかれ、「がんばりすぎ」てしまうようになった。数字を出せば組織からも評価され、その結果としてその同期を見返せると思い、死に物狂いで頑張った。自分を見失い、独りよがりになってチームの輪を乱したこともあったと思う。

 数字の奴隷として血眼になりながら仕事を続けた結果、気づけば何年も同期のトップを走りつづけていた(当然周りのサポートがあってのこと)。そんな状況になった途端、その同期は俺に対する態度を一転させるが、なんというか手のひら返しに合ったようで拍子抜けし、どこか虚しくなった。今まですり減らしてきた精神に達成感が釣り合わなかった。また、当然組織からも高い評価を得た。その同期の態度が象徴するように数字を挙げるようになった途端、周りの態度はコロっと急変した。最初はそれが気持ちよかったが、同じように虚しさを感じ、途方もなく仕事がつまらなく感じるようになった。また、この血眼になって無理をし続けた期間中はうつ病になった(と思う)。他人の評価軸のために本当の自分を捨てて生きると、いざ評価されても虚しく、失うものも大きかった。

「特別な存在でなくていい。平凡な人並みの生き方が一番」

 そんなこんなで結果至上主義の世界に漬かっていたため、すっかり結果=存在価値という価値観ができてしまった。退職し、無職になっても何も成し遂げていない「29歳無職ひきこもり」の自分自身に存在価値を見出せず、メンヘラになりつつあった。何か大きなことを成し遂げなければと意味もなく焦っていた。

 そんな中、訳あって何年も疎遠になっていた実家に帰省した。無職である俺は、公務員信仰の強い親から虐げられるのであろうと覚悟していたが、親は温かく迎え入れてくれた。親は俺に対して「(とびぬけた結果をだしたり、社会的に評価されたりといった)特別な存在や日の目を浴びる成功は必要ない。平凡な人並みのコツコツとした生き方が一番偉いし、尊い」と話していた。話の中でどんな息子でも生きているだけで「満点」をくれる親に、6年半鍛え上げられた評価至上主義の自分の価値観が追い付かず、涙が出た。「何者かになることのみが自分に存在価値を与えてくれる」と誤認していた俺にとって、普通に生きていることを肯定してくれる親はとても温かく感じた。

 昔、俺が国税専門官として採用された際に母親が喜んでいるのを見て、どうせ自慢できるスペックの息子ができたから自分の都合で喜んでいるんだろうと冷めた目で見ていたんだけど、ほんとは俺が国家公務員になることで、俺が平凡で無理のない生活ができる事を喜んでいたことが今回母親と話して伝わってきた。国家公務員=平凡な無理のない仕事という認識は間違っているが、そこには親なりの愛情があったことに今になって気づいた。

 親も今年で還暦を迎える。親の背中はかなり小さく丸くなって見えた。今までの親不孝のせめてもの罪滅ぼしとしても、これからは親孝行をしたい。

立場関係なく接してくれる友人は貴重で大切

 こんな癖のある俺にも地元には学生の頃からの友達が何人かいる。長期にわたる僻地転勤+メンタルブレイクで、疎遠になった友達も多いが、そんな中でもまだ飲みや愚痴に付き合ってくれる友達がいる。そんな少数精鋭の友達とは学生の頃と同じように、俺の肩書とは全く関係のないところで対等に付き合ってくれる。社会的評価至上主義が刷り込まれていた無職の俺に、社会的評価に関係なく普段どおり接してくれる友達にはいつも心が救われた思いになる。

 社会人になるとなかなか人を中身で自分を見てくれる友達は少ない。肩書関係なく付き合える友達は大切にすべきであると思ったりした。

自分と自分の周りのために生きるべき

 国税退職の際には「組織はお前をずっと応援してきた。そんな組織と同期を裏切るのか」「俺がお前をこの●●(出世コースと呼ばれる)に推薦したが、俺の目は節穴だった」「●●はたくさんの人が希望する部署で、お前を配置したことで希望が叶わなかった者もいる。そんな人達に顔を合わせれるのか」「お前は第一選抜でここにきている。出世をしている人間は責任も増えるから勝手な退職は許されない」といった慰留なのか脅迫なのかがあった。本音の退職理由を隠していたため誤解された部分もあるが、なかなか辛辣な経験であった。組織は実査官としての俺を評価しているのであって、人間としての俺を見てくれていなかったように思う(ある意味俺が俺という人間を隠しているから当たり前ではあるが)。

 これからは上記のような相手ではなく、ダメなところも含めて自分という人間をちゃんと見てくれている周りを大切にすべきと考える。そのためには、評価にとらわれず自分の本性を開示することがこれから求められる気がしている。

 また他人のためになることが全て自分のためになるわけではないことも今回分かった。何も今まで数字のためにだけに職務を全うしてきたわけではなく、新卒時の「国民の生活のため」という使命感で仕事をしていた部分も多くあった。ただ、結果として自分が摩耗して退職に至っている。これはその仕事が自分のためにならなかった結果であると考える。だから俺の周りにいない人達までのことを考える必要はなく、まずは自分と自分(という人間)を見てくれている周りの人のために生きるべきと考える。

最後に

 今まで他人軸に生きるあまり、沢山の大切なものを見失っていたように思う。

 普通の人の常識をこの年になってようやく気付けたこともある。かなり遠回りしてしまった感は否めないが、ニート生活を経て、やっと大切なことに気づけた気がしている。

 

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