はじめに
俺は平成29年に新卒で入庁した国家公務員(国税専門官)を令和5年に辞める決断をして、現在無職をやらせてもらっているんだけど、退職に際してたくさんの葛藤と自問自答の日々を過ごしてきた。地方転勤を繰り返す国家公務員は、友達も娯楽もない地に転勤することが多く、暇な時間を持て余すことが多くなる。このため必然的に自問自答期間に入ることが多くなる。これは本当に問題で、毎日晩酌するしか暇の過ごし方が分からなくなっている同期もいたり、酒に溺れる⇒非行⇒懲戒処分となる職員が全国を見ればちらほらいる。
ここでは退職理由の記憶が鮮明のうちに、なぜ絶対安定といわれている国家公務員を辞めたのかをまとめてみる。
1 無刺激
上司が自分の数年後の姿とはいったものだけど、上司や先輩を見て、よくも悪くも自分の未来が想像できた。先輩、上司の仕事ぶりをみて自分もそうなりたいとは思わなかった。周りにいた先輩は基本、採用当初のやる気は無くなって、5年目あたりからは最終目標を上席(中間管理職の下、一般企業でいう課長補佐)とし始める。上司は上にいい顔をしながら、波風立たさないように決められた仕事をこなしていく前年踏襲マンとなる。そしてその上司も・・・と続いていく。国家公務員の仕事は、立法ではなく出来上がった法律を運用する行政である以上、そこに自分の裁量の余地はなく、ただただこなすだけの仕事を続けなければならない。だから自分色を出すことはNGで、常に前例に従い仕事をしていくこととなる。2~3年すれば仕事も慣れてくるが、これを定年まで続ける作業だけが続くと思うと果てしなく途方もないし、はっきり言えばつまらない。こんなことをするために生きてきたのかと思うくらい心躍ることがなかった。
2 閉鎖性(挑戦できない環境)
公務員はその職務の中立性、公平性の観点から副業が禁止されているし、海外旅行をするにも事前に届出書を出さないといけない。速度超過、立ちション等の法律違反を犯した場合にも即刻懲戒となったり、法律を運用する立場としてどんな時も国民の模範にならなければならない。だから公務以外の領域には基本的に挑戦しない、下手なことはしないことが常識とされており、挑戦する人を嘲笑う雰囲気もある。こんなに世の中が進んでいて自分の可能性が広がるバフが残されているのに、それに挑戦しない(できない)ことはもったいない。職場には収益化しないでyoutube投稿をしている人がいたが、その人はそれだけで「アホや」とか言われていたし、俺も退職して、やりたいことがあると打ち明けた時にも「アホや」と笑われた。保守的な人のみで作られた公務の世界では、このように職場の人間の価値観が凝り固まり、挑戦を阻害する環境となっている。人間はPDCAで成長していく生き物。ここにいる限り最初のActionを起こしづらく、人間として成長しづらい。
また、公務員は国民の反感を買うことを恐れてか、自分の仕事や素性について、職場外の人にあまり話をしない。逆を言えば身内の話を身内でするのが大好きである。これが閉鎖的な職場に拍車をかけている。飲み会の場が象徴的で、飲み会では必ずと言っていいほど「人」の話をする。これはどこの職場でも一緒なのかもしれないが、必ず職場の「人」について「あいつはこうだ」「こいつはああだ」といった悪口を話す。同期同士での飲み会でも基本はその話で持ち切りで、そして嫌なことにその話をする傾向は立場が上の人になればなるほど上がっていく。そんなことを聞いても、新たな気づきが少ない。みんなの共通話題となるのがそれくらいしか無いから仕方ないのかもしれないが、個人的にはもっと未来のワクワクする話をしたかった。
3 成長の余白がない(専門職は職人芸。あとは定年まで残りの10%の専門知識を極める。)
国家公務員一般職は2~3年で自分の仕事内容が変わり、様々な分野、領域の法律家となることからゼネラリストといわれるのに対し、国税専門官は税務領域の法律のみを扱う専門家であることから、国家専門職といわれる。国税専門官は転勤があるものの、自分の取り組む専門領域(仕事内容)は採用当初から定年に至るまで基本的には変わらない。手に職が付くとは言われるが、逆にこれが俺には合わなかった。自分の領域(仕事内容)の勉強は基本的に3~4年もすれば、イレギュラーな事案のものを除いて90%は完了する。この時点で自分の仕事の型はできるし、仕事を一人で回せるようになる。その後の職場人生は、残り10%の出くわすことの少ないイレギュラー事案を対応するための知識習得を突き詰めることとなる。そしてどこまで突き詰めていくのかは、結局自分が納得できるかどうか。働かないおじさんとして離脱も可能。あとは時間を使うだけで、まさに職人芸でぶっちゃけ飽きるし、途方もない。
4 正義の反対は正義であることに気づいた
入庁当時は法律違反をしている人は、全て牢屋にブチ込んで罰を受けさせるべきだと本気で思っていたし、法律違反は絶対悪で公務員として正義を執行しなければならないという正義感に燃えていたんだけど、国家公務員として仕事をする中でその価値観が変わった。仕事の中で人のことを交友関係から生い立ちまで調べ上げることがあるんだけど、法律違反をしている人の中には、自分よりも人間性が優れていて、誠実で、真面目で、人情味あって、優しい人だったりする。そして、もっとその人のことを深堀していくと、その人の置かれた状況、立場、来歴、思考から、法律違反をしている状況がその人なりの正義であったりする。もちろんこの国において、法律違反をすれば何かしらの罰を受けたりするのは当然だし、許されることではないんだけど、その人を知って、その人の立場に立った時、その人の正義を理解できることがある。俺も「同じ立場にいたら同じ選択をしている」と、「相手が間違いではない」ことを思い知ることがあった。自分が盲信していた正義の反対に相手の正義もあると知っただけに、自分の正義を押し付けることに対して疑問を持つようになった。
自分で選んだ仕事、自分で退くのも自由
そもそも俺が公務員を選んだ理由はいたってシンプルで、
①大学受験の失敗を取り戻したかった
②公務員試験合格者=すごい人感が漂っていた
③試験勉強は勉強するだけだから簡単
④公務員を目指すだけで周りに応援される
⑤父が公務員信者
といったところで、ほぼ思考停止で過去の自分が選択した結果であったことに気づいた。公務員になった人は同じような人も多いと思う。それが良いとか悪いとかはないんだけど、人生ってそんなもんで、考えても考えていなくても自分の選択が形になってしまう。思考停止でした選択が現在に繋がっているなら、疑問を持ったなら、自分なりにしっかり吟味して選択し直すほうが自分の人生に納得がいく。
「逃げの退職」ではあるけど前進している。
仕事を辞めたいと思って仕事をしていても、自分自身は成長しないし、何も生み出さない。惰性で付き合うカップルみたいに、お互い(会社と従業員)にとって時間の無駄である。辞める際に一年前の自分と現在の自分を比較してみたんだけど、自分が学びを止めてしまっていて、成長したことがほとんどなかった(何も変わっていなかった)。一度しかない人生、せっかくならやりたいことを挑戦して自分の成長に繋げるべき。今回の退職は見る人からは逃げの退職になるかもしれないけど、退職するといった挑戦の第一歩を踏み出せたことは、自分のにとって前進であると思う。
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